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小使いさんの話


by kozukai1

陽介君

今年は、インド紙芝居の東野さんから陽介君迄、親しい方々が、彼方の世界に逝って

しまった。なんだか、彼方の世界の友人の方が多くなった印象です。

友人が多いので、当たり前でもありますが、短い時間でも、濃い付き合いを

している方が多い。

記憶も薄くなっていくので、陽介君との思い出を記しておきます。
彼のテーマは、多分ずっと「月と陽」が、テーマだったと思います。

最初 松井さんが、私の自宅に連れて来ました。

玄関の私が彫った親父の像を喰い入るように観ていて、

それで、彫刻が好きなんだと思い、私は彫刻家の平櫛田中の話しをすると、
目が輝きました。

その後熊谷守一の話しをするとまた目が輝きました。

彼は、なんでも奥駆けを吉野から本宮迄一人で歩いてきたらしい。

大変なことです。私も飛び飛びしか歩いたことがありません。
そんな彼ですが、

後で彫刻家と知りました。

それも彼が尊敬する方が、平櫛田中と熊谷守一です‼︎

びっくりです‼︎

その後セミナーを受けました。奥駆けでは、なんでも天狗に会ってみたかったらしい。

セミナーは前半は散々でした。

半ばに大楠さんに連れて行くと喜びました。

雨が降っていたのですが、中程迄、裸足で登って行きました。

雨でなければ、もっと上まで行くんですが、と言っていました。

それから元気になり、セミナーも順調に進みました。

クライマックスでは彼の中から、妖怪が、敬礼して出て行きましたが、

それが、妖怪というよりも、彼の味方な感じで、

角棒を被り子供がつけるようなマントを身につけグリーンの半袖

で足は裸足で体を仰け反らして、敬礼をして体はハリガネの細身でした。

そこで、この妖怪は元々、彼の味方だったのですが、いつしか、

彼を苦しめる存在になっていったのだとわかりました。

今は彼には必要なくなったので、敬礼をして去っていったのだと思いました。

月と陽と云うあたりでは、彼は子供の頃転校が多くて、

自分はいじめられたく無くて、転校すると、誰がいじめっ子で誰がいじめられっ子

だとすぐ分かり、自分はいじめられたくないので、何時もいじめっ子のサイドに

居たと言って居ました。時々音楽などで踊りなどもして居ましたが、面をつけて

踊って居たらしい。それは多分にいじめっ子のサイドに居たと同じ様におもう。

アートはどちらかと云うと、月のエネルギィ〜のサイドで、作っていた様に

おもいます。また彼の本質はとても優しくていじめられっ子の見方だったのではと思う。

ただもう一つ居て、この方を取ると彫刻が出来なくなると思ったので、

その方は、居てもらうことになりました。天狗のような存在です。
セミナーが、終わり、

代金は、無ければ、小さな作品でも良いよと伝えると、後日作品が送られてきました。

体ほどの筆を持った人が樹と書いている、彫刻です。

その後も個展があると良く出掛けて見ていました。丁度一年後位に個展があり、武和さん私から居なくなったのはこの像ですか?と言って居ましたが、それは残した方の方ですと伝えました。後でそれは、生前彼の熊野の最後の個展大泰寺で薬師如来の前に向かいあった像でした。でもその時は首を落とし両腕を落とし肩からお腹迄チエンソーで切った異様な自刻像でした。
その像は、 元は会場の外の廻り廊下に配置していたらしいが、住職より無用心なので、中に置いて下さいと言われ中に置いたらしい。

結婚をして少し作風が、変わってきていて、それは誰しも通り道です。
友人の松井さんには、最近ノミが鈍くなっているね、

多分10年はかかると思うと、話していました。
結婚して、子供も出来、色々と大変になるので、

それはそれでいいのではと思いますがと、、、
それで昨年位より少し、乗り越えてきつつあるなぁと
思っていました。

新宮の、しょうすけギャラリーでは、概ね盛況でした。

私も何点か買い求めました。そのうちの1点は、陽介君のお母さんが

来られた時、私が持っていた彼の自刻像と彼が入院していた時書いた書2点をプレゼント

しましたら、抱きしめていました。ポストガードの一点は、「富士山九合目で、挫折 でもよくやったよ」という作品でした。私は彼に、確かに自分は、九合目で挫折したかもしれないが、てっぺんに立つには、挫折しないと立てないんだ‼
自分は、今はもうてっぺんに立って居るよ‼と伝えました。旅立ち迄の2ヶ月半は、正にそんな作品でした❗
最期の血の一滴迄作品にしました。
お母様と別れその後1ケ月弱後旅たちしました。

私は、陽介君が、痩せてきて、今年一年は、厳しいと思っていて

今ならば、彫刻も、出来ると思って、亡くなる半年前に彼に薬師如来さんを、オーダーしました。
彼は一年前の大泰寺薬師堂での個展後、癌が発覚したので、

その個展の時友人のムチャチョが、あんな配置をしていたら、地獄を見ると

言って居ました。後で話しを聞くと、確かになる程と思うこともありました。

そんな訳で、薬師如来さんをオーダーしたのですが、

私は彼に、5万円を渡すと、2万円で良いですと言われたので、私は、完成したら

後5万円払いますよと伝えました。

ただ、先ずは3人の子供にそれぞれ一つ、そして、奥様に一つ

そして、薬師如来さんは、最後に作って欲しいと伝えました。

陽介君は、充分私の意図は伝わりませんでした。


目の前の生きる事に精一杯でした。


私は彼が彫った仏像が人の手に渡りどんな風なのかを知って欲しいと云う気と、

薬師如来さんにお願い出来たらと云う事と、

かれがなくなった時に残された家族が拝めるようにと、又陽介君が

薬師如来になって家族を見守っていけるようにと云う思いでした。

自分のものにするつもりは、最初から全くありませんでした。

亡くなってしまった今は家族に対して其々に彫ってあげられなかった事が

少し残念な気もしますが、彫刻では、それが最期の
作品です。

彼に病院で、子ども達に其々一冊

本を書いてあげると良いよと伝え、それは彼が果たしてくれたのは良かった。

陽介君は、私に、二ヶ月半の間に2回出ない声を絞って愛していますと、言ってくれました。

彫刻の頃、私を手招きしてアトリエに連れて行き、

ポストガードを、二点手渡しました。
一点は熊野川が龍、
一点は、ふだらく と書かれていました。
そのときは、もうハッキリと向こうに逝く
気持ちでしたのでしよう!

そして胸に手を、グロスして当て手を、拡げ

頭を下げました❗

愛していますと息子位の方から、そんな風に言って頂きましたが、逆の立場ならばわたしは
そんな風に言えない気がしました。

ありがとうございますとは言えても、私は彼に前にハッキリと
そこで私的には、一度お別れして居ました。

実際は其れから2カ月位生きてくれました。

亡くなる直前麻張りの100号のキャンバス5枚作品にしました。

多分最後の作品は亡くなる2日位前の作品だと思いますが、

其れは月だか?太陽だかを背にした、家族4人の姿でした。

其々に紅いものが付いています。其れは、陽介君の指紋です。

前日まで生きる気いっぱいだったようですが、

波打際全力疾走して月界に旅立ちました。でもまだ

居る感じがします。無念な思いが今は写真から伝わって来ます。

11/11いい日旅たちの日で、いい祈りの日でもあるらしいー|ー。

陽介君_b0054556_01264348.jpg

ps;大泰寺での遺作展に飛騨?のshift君が来てくれました。キャンパスに書かれた作品に鳥が、飛んでいる作品が、ありキャンパスの下にshiftとサインが、入っている。
次のステップに、シフトしたから、サインを、入れたと思っていましたが、きっと彼shift君へのメッセージだったと思います。彼が陽介君が、亡くなる時居た友人です。何でもshift君が、急にゲームセンターに行った時、陽介君から、電話が、入り、ゲームをしたいというので、ビックリして、ゲームを、持って駆けつけたらしい。亡くなる前日日向ぼこして、話したらしい。
彼が、廊下で、倒れていて、shift君がトイレに行った後も倒れていて、はいづって、蒲団迄来るのかと、手を出したら、いけないと思って手を出さないで、いたらしい。目から涙流れていたらしい。暫く倒れたままだったそうです。その翌朝、おかしいので、救急で運ばれ亡くなったらしいー|ー。

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by kozukai1 | 2017-11-16 01:54 | 人物